
10代のころに『知られざるナローたち』や『THEトロッコ』といった書籍・記事に感化されて、勇んで足を運んではみたものの、『(軌道本線内)立入禁止』の立札に思い切り出鼻をくじかれた初訪問から早や35年―
どうやら昔と違ってネットで気軽に申し込めるようになったみたいだから…とあまり気負わず応募してみた見学会(正式には『立山カルデラ砂防博物館体験学習会』)に運よく当たり、初めて立山砂防軌道に乗ることができた。
当選を機に、今年から年間3日の消化が必須となった職場の有休を2日充てることにして、関電黒部訪問と組み合わせた1泊のプランを立案。もし土壇場で中止になったら地鉄の駅や市電巡りでもしよう…と構えていたが、当日は見事に晴れてくれて見学会は無事催行。バスでの行脚を経て昼過ぎ水谷に着いてからも天気は崩れることなく、つつがなく軌道完乗を果たせた次第。
▲このあと乗ることになる見学会用人車列車。DLは26-10-3『小見』、人車は機関車次位から8-10-6・6-10-18・6-10-95の3輛だった。
▲水谷出張所の全景。右手の人々は、出発の時間が近づき集合待機する見学会の参加者たち。乗車寸前まで道路の向こう側に行くことはできない。 ▲乗車中の車内からの動画。1つ目は水谷出発直後、2つ目は樺平のスイッチバックにて転線の最中。
▲車内からなんとか捉えた樺平18段スイッチバックの一部。
▲鬼ヶ城連絡所を通過
▲鉄橋を渡る(おそらくグス谷橋梁?)
▲天鳥トンネル突入の瞬間
▲およそ1時間40分を経て千寿ケ原に到着。
▲出発前に急ぎ足で立山カルデラ砂防博物館々内を見学した際の一コマ。かつて活躍した酒井5tDL(Tld-251)が保存されているが、外観こそピカピカなれど、ボンネット内のエンジン等が抜かれてしまっており、完全な状態とは言い難い。参加したのは、往路はバスで立山カルデラ内の景勝地や史跡を巡り、復路を軌道終点の水谷から起点の千寿ケ原(富山地鉄の立山駅すぐ傍)まで下るコース。
ただ、場所が場所、そして時代が時代だけに安全にはやかましく、乗車直前まで軌道や列車に近づくのは御法度、一旦乗ってしまうと狭い人車の中に2時間近くカンヅメで、谷側の席を押さえそびれると外の景色の写真を撮るのも容易ではなく、軌道の撮影が目当ての人にとってはかなりストレスが溜まる環境かもしれない(自分は開き直って機関車のお面にカブリツキの席を選んだ)。
乗車の際にガイドさんから聞かされて初めて知ったのは、現在の人車運転時における側扉の扱い。谷側は開け放しでも構わないが、山側は落石の被害に備えて必ず閉めるように徹底されているとの由。現行の先々代に当たる開放型の人車に後からアルミサッシの側扉を取り付けたり、その一代あとの側面にアコーディオンカーテンを備えた人車が意外に早く淘汰されたりしたのは、それが大きな理由だったのだろうな、と納得する。
実際に乗ってみた人車の乗り心地は、急カーブやポイント通過時こそ相応に揺すられるものの、サスペンションを設えた軸受と保線の良い軌道のおかげで不快な突き上げはほとんど無く、意外とマトモであった。
▲今回の見学会の行程表(2019年度 トロッコ個人コース1班)。
▲朝の見学会集合前に捉えた、千寿ケ原での車輛出庫シーン。1枚目のスチルは、3番目に庫から出てきた26-10-1『立山』牽引の人車。
▲一番列車のモーターカー(12-10-2)が朝日を浴びて出発
▲千寿ケ原構内外れの『運行管理所』前に待機する列車たち。
▲北陸重機製5t機の、おそらく最新グループと思われるうちの1台・27-10-2(他に27-10-1、28-10-1を確認)。
▲千寿ケ原の常願寺川河原『トロッコ展示レーン』の保存車。加藤の4tガソリン機・5-Tg-5は変わらず在るものの、後ろに連なる車輛は、大川寺遊園の豆汽車編成から旧型人車改造の荷物車2輛(車番は前から人車-11、人車-10)に置き換わっている。
▲現在の貨車の主力である2t積台車(12-10-7)。このグループは、従前からのピンリンク式ではなく人車と同様のウィリソン式連結器を備える。
▲夕方近くになり、26-10-2『鳶山』に牽かれて山から下りてきたホッパー車編成(奥より7-10-2、7-10-1)。
▲続けて26-10-1牽引の人車も。人車2輛目(17-10-3)は側扉両開き式のタイプ。
▲列車を降りてきょう一日の仕事も無事終了、足早に事務所へー夕刻のこの風景は昔から変わらない。
▲車輛たちも庫へ帰ってきた。DLのキャブ背面の橙色の物体は折り畳み式担架との由で、今はすべての動力車に装備されている。
▲12-10-2が出動後の庫の奥にモーターカーが3台並ぶ。中央が、ルーフキャリアが無いことと、反対側から見たときの正面窓上の手スリ形状から55-10-64と判る。両脇2輛は消去法で3-10-101と4-10-45になるが、流石にどちらがどちらかは判別つかず。見学会の前後の時間は、千寿ヶ原の敷地外から長ダマ駆使で構内を行き来する車輌たちをひたすら追いかけ回した。
機関車が動いている姿を見るのは
前日に訪れた関電黒部同様16年ぶり。前回訪問時点ですでに千寿ヶ原の構内設備とセキュリティは今と変わらぬものになっていたが、その間に北重5t機の大半が世代交代していて、メディアでは紹介されたことのない新台が少なくとも3輛いることが判明した。
一方、モーターカーの布陣は2000年の12-10-2増備以来変わっていないようで、最古参の55-10-64も、庫の外の覗き窓から屋根上ディテールの判別で辛うじて現存を確認。
しかし、現車の製造番号を目視することも巻尺を当てることも叶わず、博物館1Fの庫に仕舞われたままの車輛は管理番号の確認すら困難で、見たまま調査には根気が要るなあ…と。
ともあれ、前日の黒部と併せて、久々の実用現役ナローの乗り撮りを堪能し、心地よい疲れを感じて富山の地を後にしたことであった。



最後にお目にかける写真は、往路にバスで訪れた『六九谷展望台』からの眺め。
崩落しかかっている尾根に組まれた足場の上に何人もの作業員の姿が…高所恐怖症でなくとも足の竦みそうな光景で、このエリアの砂防・治山事業の最前線の過酷さをあらためて実感させられたのだった。
【写真すべて:2019.7.24撮影】
★なお、この日の実況的なツイートは
コチラをご覧いただければ幸い。
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- 2019/07/30(火) 04:26:14|
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