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作業部日誌V3

        

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モデルワーゲンの『尾小屋のキハ2』を組む

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ナローゲージモデルの世界に足を踏み入れたキッカケはTMSに載った『思川鉄道』だった…ということは以前このブログでも触れたことがあるが、ナロー、なかんずく“地方私鉄としての軽便”を初めて知ったのは、“ケイブンシャの大百科”によってのことだった。小学2年生の頃、当時の級友の家に行ったときに偶々見せてもらった『特急・私鉄大百科』('76年9月発行)。それにはまだ“現役”の私鉄として尾小屋鉄道が紹介されていたのだ。1枚だけ載せられた写真は、キハ2の顔のどアップ。加えて、車端にカゴ(鮮魚台)を備えた車輛の存在を知ったのもこのときである。それ以来、尾小屋のキハ2は忘れ得ぬ車輛のひとつとなった。

自分にとって尾小屋鉄道は、“大百科”での出会いに加え、若かりし頃の阿部敏幸さんの手による緻密なレポート記事(初出:TMS291・292号/『ナローゲージ・モデリング』に再録)などの影響もあって、各駅や沿線のシーナリーの様子を概ね諳んじられるくらいには思い入れのある鉄道である。ただ、その一方で、いままで車輛の模型は1輌も持っていなかった。自分がナローを始めたころのモデリングの方針は「どこかにあったような現実的フリーの味噌汁軽便」(いまの猫屋線のようなものですね)であったため、手許の日本型軽便車輛たちも塗装等を“自分の鉄道”仕様で仕上げており、プロトタイプ通りに作ったもの自体がほとんどなかったのだ。

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▲キハ2との出会いの一冊・『特急・私鉄大百科』の現物はあいにく手許にないままだが、当該の尾小屋の記事は昨年刊行されたトリビュート本・『鉄道「大百科」の時代』に縮小採録されているのを見ることができる。

しかし、数年前にKBMC(軽便モジュール倶楽部)で尾小屋鉄道がお題になった際、倉谷口あたりの渓流沿いをイメージしたモジュールを拵えたのを機に、ようやく「1輌でもよいから、尾小屋の車輛を手許に置いてみようか…」という気持ちが沸き起こってきた。
1輌で決めるなら、やはりキハ2だ。ずんぐりした冴えない風体だけれども、子供のころに受けたインパクトも手伝って、自分にとっての“ミスター尾鉄”はこれをおいて他にない。ただ、HOナローではかねてよりワールド工芸から製品が出てはいるが、薄板構成ゆえのボリューム感不足と、個人的に苦手な造りの動力装置がネックで手を出す気にならずにいた。

そんな折、モデルワーゲン(MW)が2016年からシリーズ物として尾小屋の車輛の製品化を始め、昨年(2017年)の秋口にはついにキハ2の発売予告がアップされた。木曽モノを熱心に買っていたころ以来ご無沙汰だったMW製品だが、ある意味同社の芸風に合ったスタイルの車種ともいえるだけに、それなりに期待しつつキットの予約を入れたのだった。

ただ、発売が迫って同社のHPに上がってきた組立見本の写真を見てみると…残念ながら気になる点がいろいろと出てくる。
・屋根のカーブ
・腰の高さ
・側面ステップのスソの下がり具合
・そもそも、車体とデッキの接合部に盛大に切れ込みが入ってしまうのはどうしたものか?

一方、キットの仕様だが、ざっと調べた限りでは、1971年頃の姿を想定していると思われる。
・新小松側の鮮魚台(燃料タンクが載っている側、ともいう)左側にウェバスト暖房用の灯油タンクがない
・ 〃 の妻面の右側尾灯が欠損
・すべての客用扉に中桟あり(晩年は新小松方向右側の側面のみ中桟無しに)
「灯油タンク作りなよ!」などと周囲の皆様から写真をご提供いただいたりもしたが、その辺に気を取られているとなおさら完成が遠のきそうだし…

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そうこうしているうちに、年末も押し迫ったある日、ついにキットが届いた。
組むに当たってのテーマは、まず、見本で抱いた違和感をどこまで捻じ伏せられるか?である。そしてもうひとつは、サイドビューのシルエット。昨年の軽便祭の講演会(『軽便讃歌Ⅷ』)で蔵重信隆さんが披露して下さった写真の中に、夏の田園地帯を駆け抜けるキハ2のみごとな流し撮りがあった。その姿がちょうど製品の年代設定と一致することもあり、このイメージにいくばくかでも近づけたいと思ったのである。

それでは、主にどの辺に手を加えていったかを中心に、製作の経緯をごらんいただきたい。



●足回りの見直し・床下編

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まずは下回りを普通に説明書通りに組み上げ、仮組みした上回りを載せてみる。実物のサイドビューの写真とちょっと比べてみただけでも、直したいポイントが色々と炙り出される。なお、キットは予約時に『冬姿』を選んでしまったのだが、あとから『夏姿』のランダムに開いた状態の窓枠を追加購入して取り替えた。
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腰高の解消は、単純に車体内側の床板取付アングルの位置を高めにすればよさそうにも思えるが、室内を再現するつもりのため床板の高さをデフォルト以上に上げたくはない。そこで、付随台車はボルスターと台車枠のステーを概ね0.5mmずつ削り込み、動力台車は取付ステーの  ̄|_ 状の段差を万力で押し潰して、トータルで約1mm車高を下げた。
MWの味噌汁軽便のボギー気動車は、最初の製品である仙北キハ2401・2以来、実物の付随台車側を模型での動力台車としており、尾小屋キハ2もその例に漏れない。ただ、キハ2は他の車種のように片方が偏心台車になっているわけではなく、2つの台車のホイールベースが共通である。そこで、エンジン廻りをまとめた床下機器のユニットを逆向きにし、エンジンのプロペラシャフトが模型の動力台車側に向くように改めた。
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▲プロペラシャフトを実際の動力台車側に向けた最終的な床下の状態。モーターは別のものに換装しているため後述する。


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床下機器は、補機類に手を加えてもう一押しそれらしくしてみた。エアータンクはエコー製品(品番622)に交換。コンプレッサー?らしき物は、以前ワムの店頭で拾ってきた挽物のブレーキシリンダをドリルレースしてデッチ上げ。あと、手許のよくわからないWメタルパーツを削ってこしらえたラジエターも取り付けた。



●屋根、そして鮮魚台との闘い

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最近のMW製品では毎度?話題になるロストワックス一体成型の屋根。実際には裏側が肉抜きされているため、これを使ったとしても意外にトップヘビーにはならない。しかしプロポーションは肉抜きがアダとなって歪みが生じているようで、オデコの部分が凹み気味なうえ、肩のRも車端と中央で異なるありさま。一部にハンダを盛って何とかなるレベルではないため、潔く作りなおすことに。

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新しい屋根は、以前北野工作所で求めたMDF製屋根板を現物合わせで切削したもの。裏面には木材の端切れでリブを設け、屋根を容易に付け外し可能とした。


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ロスト製の鮮魚台そのものも、手スリやリベットの乱れが目立つため、一時は手持ちの素材で真剣に自作を検討したほどだが、キリがないので朝顔が固定のカプラー含めそのまま使うことに。


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これまた厄介なのが、車体前頭部と鮮魚台(床板側に取付)の食い違い。車体側のスソの切り継ぎ延長も考えたが、自分の乏しいウデも鑑み、主に車体の方を地道に削って辻褄を合わせた。なお、車体全体に関しては、幕板上面と側面ステップの下面も削り込んでシェイプアップしている。


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一旦チリ合わせの済んだ鮮魚台だが、床板の所定の位置にビス留めするとこんなに隙間が…

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床板固定孔を広げたうえで、さらに床板の端を数mm切り詰め、タップを立て直す羽目に。
なんだかもう削ってばっかりである。今回1輛作るのに生じたキリコを集めたらどれくらいになるかしら…


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製品ではシレッと省略されているけれど、さすがに無くてはならぬモノが鮮魚台の車体側プロテクター。アルモデルの『荷台【柵型】』の1段タイプが偶然ピッタリだったが、実物は妻板に密着していないため取付方法にしばし迷う。結局、妻面のカーブに合わせて曲げた0.5×0.5mm洋白角線を底部に添えて鮮魚台上に立てる形でハンダ付固定。

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プロテクターの取付状態。新小松側の右側尾灯欠損部分は、製品では孔無しになっているが、実際には外れたあとの孔がそのまま残っているのであけ直しておいた。



●足回りの見直し・動力編

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モーターは元々マシマの小判型が付いていたのを、DCC対応のために一旦1015サイズのイモンミニにしたが、サイドビューの窓越しのシルエットを抜きたくなり、10年くらい前にエムテックスで求めたとっておきの扁平コアレス(ファウルハーベル0615)を奢った。そんなにトルクフルではないモーターなので過負荷は禁物だが、基本単行でしか走らせないつもりなのでこれで良しとする。
この動力、台車のセンターピンがオフセットしているため、走行時のトラクションが不安定なことこの上なく、あとから妻面側のフレーム上に燐青銅板を曲げた復元バネを設け、妻板内側の窓下部にはウェイトを仕込んで悪あがきをしている。


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クラブ(KBMC)の運転会で遊べるようにDCCデコーダを搭載。苦手なLED配線が加わると完成が遠のくばかりなのでライト点灯化を諦めた結果、ファンクション機能を持たないKATO-Digitrax EM13をチョイス。ついでに、床板の上にプリント基板や燐青銅板でデッチ上げたソケットを設け、デコーダを抜き差し可能にしてみた。KATO製NゲージのEM13対応車輛同様、引っこ抜くだけでアナログ仕様にもなる(もっとも、DCC・アナログ両方で適切に走るようにCVをいじっているので普段抜き差しをする必要はない。デコーダ焼損時の交換がラク…なのがメリット)。



●塗装と仕上げ

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車体の塗装はMWの上運クリーム(実質国鉄のクリーム1号)と、ガイアカラーの名鉄スカーレットをツヤ有りで。
インレタはアルプスモデルの指定品を貼り、そのあと半ツヤクリアーでオーバーコート。
“夏姿”の窓ゆえの地獄の(笑)窓セル貼りを経て、最後にネオリューブやX20Aで溶いたパステル粉でウェザリングを施した。


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ややドロナワだったのが屋根回りだった。
まず、屋根板は布張りの境目に見立てたスジ彫りを入れたが、スエード調スプレーを吹いたら見事埋まってしまい、結局スジを彫りなおしたのちフロッキルのウェザード・ブラックの筆塗りに落ち着く。


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もう一つは、イザ塗り上がった車体に屋根を乗せてみたら、それなりに削ったつもりだった幕板がまだまだ広かった!という落とし穴…慌ててマスキングテープで養生のうえ、上からさらに0.3mmくらい削り込んだ。


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車内にはプラ材で簡単に拵えた座席(実物を参考に、沈んだ青緑色で塗装)を取り付け、さらに人形を積んだ。
乗務員2名はKATOの『運転士・車掌 夏服』より。女学生はトミーの『猫屋線の人々A』のものをイジって夏服化。他の2名はYFS製の30体入り『座っている人形』に色差し。



●そして完成…

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紆余曲折の末、ようやくロールアウトしたキハ2。
肝心のサイドビュー、屋根のオデコが一寸なだらか過ぎたか…というきらいはあるが、いかがなものだろうか。

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そして、自作のモジュールに乗せて撮影を。いつか再現したかった、夏まっさかりの尾鉄の情景が手許に!
なかなかに手を焼いたキットではあったけれど、こうやって景色の中に置いてやると、それまでの苦労もきれいに吹き飛んだ…ような気がするのだった。

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実を申せば、モノが完成したのは今年2月末頃の話で、その後はモジュールともども池袋やら藤枝やらで展示させていただいたりもしたが、6月に発売されたトミーの『富別簡易軌道』の貨車にオマケで集乳缶の積荷が付いていたので、そこから2本分をぶっ欠いて積んでみた。
尾小屋では、塩原集落に小さな工場を構える『丸七牛乳』に沿線の農家で採れた原乳を運ぶため列車が使われていた。貨車に満載の簡易軌道とは異なりせいぜい数本のレベルゆえ、集乳缶を積むのは車内かデッキで事足りるが、キハ2の場合は当然鮮魚台が缶の居場所となったわけである。
ただ、実際に尾小屋で使われていた缶はもっと背が高い代物なので、そのうち適当な丸棒でも挽いてデッチ上げてみるとしようか。
  
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  1. 2018/11/11(日) 19:40:00|
  2. 工作(模型)
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戦後営業線軽便蒸機のタイムライン

チト古い話になるが…今年の正月明け、前日の新年会の酒も抜け切らぬ通勤途上のこと。電車の中で電話機の画面を眺めていたら、ツイッターでポン引き氏のこんな投稿が目に入った。

折りしも2017年の暮れにトミーテックの『猫屋線』でシリーズ初の機関車(DL+客車/貨車のセット)が発売された矢先のこと。その前後で「次は何を出してくるのか?」「蒸機を出す可能性は?」といった話の流れになっていたのだが、それを見ているうちに、国内の軽便鉄道において、猫屋線製品のようなツートンカラーの旅客車輛と蒸機の組み合わせは実際にはどのくらいあったのだろう?という辺りを可視化してみたくなり作成したのが、以下リンク先のタイムライン形式のリストである。
(↓画像をクリックするとPDFの表組が開きます)

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はじめは、『戦後味噌汁軽便蒸機のタイムライン』と題し、昭和29年以降に残存した旅客営業線という条件でまとめて一旦ツイッターにアップした。路線残存時期を“昭和29年以降”としたのは、少なくとも昭和25年から気動車の2色塗りを採り入れていた鞆鉄道(=昭和29年廃止)をリストに加えたかったため。一方で、個人的に“味噌汁軽便”のイメージからは外れている…と感じるいくつかの鉄道を意図的に省いた。

しかし、「別子や釜石をナゼ載せない?」という声をいただいたり、そもそも明らかな間違いがあったりで改稿を繰り返しているうちに、どうせなら“戦後全部入り”にしてみるか…ということに。最終的に、収録の基準は『昭和20/1945年以降に旅客営業実績のある軌間1,067mm未満の国内の鉄道()』とし、蒸機が存在しなかった鉄道に関してもひととおり記載している。〔路線については“戦後(=第二次世界大戦後)”と銘打っているため、朝鮮・台湾等の旧領土と、1945年3月時点で営業停止となった沖縄県営鉄道は除外。ただし機関車は1945 年の年初~8月15日の間に廃車・除籍となったものも含む場合あり〕
なお、収録した鉄道の軌間は、神岡鉄道が610mm、西大寺鉄道が914mm である以外はすべて762mm。参考文献は表の末尾に記したとおり、基本的には市販の鉄道趣味書やウェブ上の情報がベースであり、一次資料にまで当たった内容ではない点はご留意いただきたい。

一通りまとめてみた結果、日本の軽便蒸機は昭和20年代のうちに実質的に終焉を迎えている一方で、多色塗りの旅客車輛が増えてくるのは昭和30年代に入ってからであり、当初の目論見である“蒸機と塗り分け車輛の組み合わせ”の事例は案の定かなり限られるということが見えてきた。
しかしながら、機関車ごとの在籍期間については、先達の研究の賜物でおおむねカタチにはなったものの、旅客車の塗装の変遷はまだまだ調査が必要な領域だと感じずにはいられない。1960年以前になると残されている写真の絶対数が一気に減る分、色そのものはもちろん『いつから2色塗りに変わったか』というだけの判断すら困難になるが故ではあるのだが…

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▲戦後に限っていえば、日本の営業線軽便蒸機の2大勢力はコッペルと立山重工だった。(井笠鉄道7号 野辺山SLランド 2009.7/尾小屋鉄道5号 小松市ポッポ汽車展示館 2015.6)

…それにしても、表をいったん仕上げてから半年余。トーマさんとこから猫屋向けを意識した雨宮コッペルの(金属製にしては)廉価な完成品が現れたのみならず、当の鉄コレ猫屋線からも蒸機の製品化が発表されたのにはビックリである。
いずれにせよこのリスト、皆様なりに内容を読み取っていただいたうえで、ご自分の模型鉄道の設定などにお役立ていただければ幸い。

※表の内容で修正すべき点があれば是非ご教示下さい。
  
  1. 2018/11/10(土) 23:59:59|
  2. 書誌記録
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