2月23日に撮りに行った長電のポジ(KR)をようやく引き取ってきた。
そう、なにしろメリケン帰りである。
知ってる人は知ってる通り、去年の暮れでコダクロームは国内現像をやめてしまい、今後もシブトクこのフィルムを愛用する手合いは、はるばる太平洋越しに現像を頼まなくてはイカンようになってしまった。
ヨドバシ経由の場合、仕上がり日数は最短で2週間と謳われているものの、集配便のインターバルの関係もあってか、今回の場合はキッチリ3週間。待ちくたびれて忘れかけた頃にようやく帰ってきた…という感じ。
さて、現像上がりのブツはといえば、こんな状態↓である。

6コマスリーブ仕上げという選択肢がないため、自ずと長巻での依頼に。
街の写真屋→コダック(KJ)経由で依頼した場合のささやかなサービスとして、コダクロームユーザーにはおなじみの砂ズリ仕上のネガシートがオマケでついてくるので、ハサミで6コマずつ切り落としシートに入れてゆく。こんな作業をするのも、おそらく白黒フィルムの自家現像から手を引いて以来だからかれこれ6~7年ぶりだ。
そういった手間もさることながら、現像代が1本3,507円というのはさすがに引く。今回は溜まったヨドバシのポイントで精算したので財布には直に響かなかったものの、これではとてもじゃないが懐が続かない。どのみち国内受付も今年6月までだから、今後はおのずとDwayne'sに直接発注せざるを得ないが、代理店のマージンを省いたところで3本くらいまとめて送らないとコストメリットが出ないようだし、かといって1日撮影に出て3本も回したくなるような被写体にも事欠くという現実もあり、暗に銀塩なぞ足を洗ってしまえと言われているようなもの。
手許には、今年7月までが期限のPKR・KRがまだ13本残っている。どう消費するか頭の痛いところである。
ところで、肝心の上がりはどうだったかというと…↓

▲長野電鉄 2000系D編成 須坂 2008.2.23 F-1 200mm KR

▲長野電鉄 1000系 小布施 2008.2.23 F-1 35mm KR
複写した画像でどうこういっても説得力はないが、ポジ現物をみる限りでの話。
緑色カブリでハズレといわれたエマルジョン1545だが、1年近く寝かせたおかげか妙なカブリは見られなかったし、現像自体のヌケもよかったので一安心といったところ。
で、余談だが、上で『スキャン』ではなく
『複写』と書いたのは、今回も含めたここ何回かのエントリに時折混じっている銀塩の画像は、フィルムスキャナによる取り込みではなく、無精してこういう手を使っているからである。↓

そう。ライトボックスにポジ(ネガ)を乗せて、直接デジカメで撮っているのだった。
フィルムスキャンの作業ってのは、経験者の方ならご存知のとおり、フィルム1本取り込むのでさえ結構な手間である。というか、めんどくささの極みといってもいい。
ちょうど今、とある方からご好意で貸していただいたネガの取り込みをやっている最中なのだが、それすら遅々として進まず、なおさら自分のをやる余裕などない状態なので、ブログ用で使用サイズもたかが知れているものについては、しばらくこの手で行くことにした。なにしろ36枚撮り1本を取り込むのにかかる時間が、スキャナ使用とは比べ物にならないほど短くてすむからだ。
当初は出来心で、ネガシートに入れっぱなしのまま、しかもカメラ手持ちで適当に撮ったりしていたが、それだとさすがに画面が歪んだり隅にピンがこなかったりとアラが出過ぎるので、カメラを等距離で固定できるホルダーを用意し、ポジ(ネガ)はむかし暗室で使っていたガラスキャリアに挟むようにしている。
カメラはリコーGX100。手持ちの機種の中でこれを使う理由は、カメラ自身の画質の問題もあるが、レンズ周りがマットブラック仕上げだから。裏を返せば、鏡筒やボディ本体にシルバーなど明るい色が使われている機種は、複写のさい画面にモロに映り込みが生じるので全く役に立たない。
ホルダーは手許にあった空き缶からGX100に合う手頃な大きさのものを選んで、フタを天地とも取り去り、内側をツヤ消し黒で塗り、缶のフチの部分も黒いテープでテーピングしたもの。実測で内径φ65・高さ96mmの缶である。
実際の撮影だが、画面めいっぱいにフレーミングすると、ディストーションや四隅の画質低下の影響を食らうので、下のようにわざとパーフォレーションまで入れて画質の良い中央部を活かすかたちで撮る。あとで整理のさい一瞥でコマ番号が判るという余禄もつく。
カメラの設定は、画質を3,648×2,432pixel(3:2)、ISO100、焦点距離はステップズームで50mm相当に固定。ホワイトバランスはAUTOでもいいが、デイライト固定がベター。液晶は水平出しのため方眼入り表示を選択。

実際のところ、中央に小さめに写しても微妙にディストーションは残るが、言い出すとキリがないし、まあ許容範囲と諦めるほかはない。
それをトリミング・リサイズすると↓のようになるわけである。WEB用には必要にして充分だと思うが、いかがなものであろう。

▲長野電鉄 2000系A編成 柳原―村山(村山橋) 2008.2.23 F-1 200mm KR
まあそんなわけで、今後このブログ上の銀塩取り込み画像は『デジカメ撮り』の比率が増えると思うが、何卒ご容赦?を…
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- 2008/03/24(月) 02:12:14|
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だいぶ間が空いてしまったが、長電ネタのしんがりを。
小布施駅には、『ながでん電車の広場』と称して、同社の旧型車などが保存されている。とはいっても、見ての通り狭いスノーシェッドに無理やり押し込んだような形で、少なくとも外観の写真を撮ったりするのには全く適していない。
その代わりというべきか、車輛の脇には点検台のごとき細い通路がへばりついており、車内には自由に立ち入れるようになっている。
なので、車内の写真でもお目にかけようかと。
ただし、外観の画像については、オクラ出しも兼ねて昔撮ったもので代用させていただくが。
■ED502(→ED5002→越後交通ED511)

私鉄としては珍しい部類の純箱型電関で、見てのとおり省ED15の兄弟分。運転台には日立マークの制御器が鎮座する。
■デハニ201(→モハニ201→モハニ111→モハニ131)

▲ED502ともども須坂駅構内で屋外展示されていた頃。 長野電鉄 須坂 1983.7 CNT フジHR100
(※クリックで拡大)お次は汽車製のモハニ201。合造車だけに白眉は荷物室。運転台背後の仕切の幕板が三日月形なのが目を惹く。



■デハ354(→モハ604→上田交通クハ271)
▲1986年秋、上田交通の昇圧に伴い廃車後、すぐに保存のために長電が引き取ったものの、'90年に小布施に『電車の広場』ができるまでは屋代の側線に放置されていた。後方は当時まだ屋代線用に現役だったモハ1501。1988.8.31 長野電鉄 屋代 F-1 50mm KR
(※クリックで拡大)“川造型”の典型的なサンプルといえるモハ604。上田交通に譲渡され、クハ改造のうえ就役するも持て余しぎみだったようで、自分も上田の側線で昼寝している姿しかお目にかかった試しがない。したがってこいつの車内をちゃんと見るのは初めてである。


▲ちょっと意外だったのは、肘掛がパイプなこと。扉ともども後年の改造だろうか。


そもそも私は、昇圧前の別所線に5回も足を運んでいるわりに、運悪く、このクハ271を含む上田に転じたすべての元長電車(モハ5271、モハ5261、クハ261)に一度も乗車する機会がなかった。
5271はクハ271と同系の川造製、5261と261は先述のデハニ201と同系の汽車製だから、これらの電車の車内の雰囲気をかれこれ20年越しでようやく直に体感できたというわけ。むろん、贅沢をいえば“現役”の頃に味わいたかったのは言うまでもない。
ところが。
モハ201の車内をうろうろしているときに、同行の友人Hが
「ああ~、この荷物室おぼえてます」と
聞き捨てならんことを言う。
な、なにい。
の、乗ったことがあるですって。なななんといううまやらしい、じゃなかったうらやましい。
実は、Hはおふくろさんの郷里が松代で、幼少の頃は帰省のたびに長電に乗っていた由。時代的にいっても当然1500形以前の旧型に縁があるという次第なのだが。
あ、あの、三セクや新線以外のほとんどの私鉄に乗ったことのあるおいらですら、“電車の合造車”は一度も乗ったことねえです。むかし一畑行ったとき赤いデハニは庫で昼寝だったし。国鉄なら辛うじて飯田線のクハユニ56やクモハユニ64程度。
なので
同世代以下の鉄な人相手にはジマンしておやりなさい。>H■モハ1005(→モハ1003)
▲保存目的でマルーン塗装に復されるも、須坂の構内の隅に突っ込まれていた頃。長野電鉄 須坂 1983.7 CNT フジHR100
(※クリックで拡大)【追記】(2008.3.23)
たまたま手許の資料(鉄ピク)を見返してみたら、上の写真の茶色いのはモハ1001(←1002)である由。要するに、同じモハ1000形でもいま小布施にあるのとは別個体ということになります。すいませんすいません。それにしてもこの1001番はどこへ行っちまったんだろか。塗り直したはいいが結局ツブした、とかいう話かしら…
最後は“ひろば”の一番奥に押し込められているモハ1000形。計10輛が作られた運輸省規格型の18m車で、同系の増備車である1500形は同社最後の釣掛駆動車として1990年代まで生き永らえた。

▲車内は一部座席の背ズリとフトンが撤去されたっきりの状態。
▼ただ、そのおかげでドアエンジンの構造がよくわかるという余禄も。
(※クリックで拡大)


▲運転台(非貫通側)の中をのぞいてみる。真ん中のハコがいったい何なのかわからん…

▲ちなみに非貫通側はこんなカオ。車内にいるのは(モハニ乗車経験のある^^)友人H。
【写真:特記以外すべて2008.2.23 長野電鉄 小布施『ながでん電車の広場』 GX100】
- 2008/03/21(金) 02:06:02|
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うーん。更新がほぼ一週間空いてしまった。
やはり泣く子と
年度末には勝てない。あと出張先なのに更新してる
兄貴にもね。
実際には2日前くらいの話だが、ダックス、デコーダを介してのLED点灯仮配線に成功。アナログ時の極性もOKで、配線第一関門は無事クリア。
電気の得意な人には鼻で笑われるであろうが、自分の備忘録も兼ねて、おいらのような電気田舎者文系人間でもわかる配線図をうpしとく↓
(クリックで拡大)
…ふう、やれやれ。
こういう図をデッチ上げたおかげで、LEDのアノード/カソードとかウォームの左巻き/右巻きの区別をようやっと理解した、というていたらくorz
ちなみに、図には記さなかったが、モーターはミニモーター1016S、デコーダはレンツのシルバーミニ。コアレスを奮発したのは、過去のテスト結果(『とれいん』No.388 カルタゴサロン拙稿参照)から、DCCとアナログの走りの両立が最も満足できる組み合わせとせんがため。ギアをだるまやのM0.25(減速比1:23)に交換しているのは、このカマを手に入れて間もない頃にキドマイティに換装した際の名残りで、いまどきのモーター使用かつDCC化なら、デフォルトのM0.4のギア(1:14)でも充分満足のいくスロー性能が得られるはずだ。
話は配線に戻って。
第二関門は何かというと、デコーダとダイオード基盤を窓越しに見えぬようスッキリと、且つキャブの付け外しにも支障ないような形で納めること。
さらに第三関門として、煙室上のヘッドライトケーシングの中からボイラ内を経てキャブ内に到るLEDのコードのどこかに着脱可能な接点を設け、上回りと下回りをメンテ時に完全分離できるようにすること…が待ち構えている。
なんでそんなことに拘るかというと、自前で点灯化工作をした車輛にありがちな、車体と下回りを外しても
電線で繋がってて完全分離できないっていう状態がとにかく
断じて許せないタチなんである。
量産品のNゲージ相手には室内灯を必ずといっていいほど取り付けるくせに、ナローの車輛に関して今まで点灯化を施したことがないのはそれが最大の理由だったり。
さて、初の(ナロー)点灯化工作、出口はなんとなく見えてくれども、本当に闇の中から這い出せる日はくるのか。
- 2008/03/16(日) 01:00:47|
- 工作(模型)
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きょうは久しぶりに工作台に向かった。
ダックス、コアレス換装と走行再調整完了。
さあて、次はデコーダ・ライト配線か…
つくづく配線なんか死んでしまえばいいよ、ふんとに(ううう)
ところで。
オノデラさんが書かれているように、
今秋の軽便祭の一隅で
勝手に『ダックス祭』をやろうプロジェクトが始動しちょるので乞うご期待。
ていうか、ダックス持ってる方とか詳しい方はぜひお助けくださいなのれす(オネガイ)。
- 2008/03/10(月) 01:06:51|
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ウチみたいな辺境ブログにとって頼もしい凄腕ポン引きであるところの
某アンテナ管理人氏がなんか釣り糸を垂れてらっさるので、とりあえず釣られてみることにした(w


思えばこいつも早や十数年越し(!)の仕掛品特別長期在庫。いずれはマトモなエントリにしたいところなのだが、3月中にできるかどうかは(ry
すいませんすいません。
- 2008/03/05(水) 02:09:06|
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